小説隣の同期くん

隣の同期くん 2

2 隣でわたしを呼ぶ同期くんの声が良すぎることに気づいた初夏の日

午前9時。スニーカーの靴ひもを結んで頭上を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。

今日は警察学校の体育祭だ。わたしの教場は、先日合コンした伊達班のみんながいる鬼塚教場と同じ赤組になった。

しかし天気が良い、というか日射しが強い。……まだ時間あるし、日焼け止め取りに戻ろうかなぁ。寮へ引き返そうとすると、前方から見覚えのある2人が歩いてきた。

「何でよりによって赤組なんだ?僕は赤以外なら何でも良かったのに……」

「出たね、ゼロの赤NG。でも、赤いTシャツ似合ってるよ」

「やめてくれよヒロ。色落ちしてピンクになるよう何回も洗濯したんだぞ」

「はは……ほとんど病気だな……」

「諸伏くん、降谷くん、おはよう」

「おはよう」

「あっ、百瀬さん。おはよう」

こちらを向いて微笑んだ諸伏くんの髪の毛が風に揺れて、きらめく朝日を透かした。夜の静けさも朝の光も両方似合う人なんだなぁと、思わず見惚れてしまう。

「……あっ、この前はココアありがとね」

「うん。あの後風邪とかひかなかった?」

「諸伏くんが温かくしてくれたからね。大丈夫だよ」

「そっか、よかった。今日は1位目指してがんばろうね」

わたしは今回の体育祭で、目隠し障害物競争に出場する。その競技で、たまたま諸伏くんとペアになったのだ。

「そうだね!こういうのは全力でやった方が面白いからね。……ところでさ、ちょっと聞こえちゃったんだけど、赤NGって何?」

「いや、何でもない。気にしないでくれ」

「それじゃ百瀬さん、また後でね」

降谷くんは真顔でぺこりと会釈し、諸伏くんははにかみながら手を振って去っていった。……なんというか、降谷くんて硬派な感じだなぁ。そう思いながら来た道を戻っていると、級友の大江玲奈おおえれな)が前から歩いてきた。

「あれっ。ちなつ、寮戻るの?」

「うん、日焼け止め取りに戻る。今日紫外線すごいよ」

「それじゃ私の一緒に使おうよ、大っきいやつ持ってきたから。じゃんじゃんバリバリ使っちゃって!」

「いいの?じゃあお言葉に甘えて使わせてもらおっかな。ありがとね」

「その代わりと言っては何なんだけどさ……今ちなつ、降谷くんと話してたよね?何か降谷くんの新情報あったら教えてほしい!」

降谷くんは真面目で成績優秀で見目麗しく、女子から絶大な人気がある。この玲奈も、入校式で一目惚れして以来ずっと降谷くんのことが好きらしい。

「降谷くんていうか諸伏くんと喋ってたんだけどね。なんか、降谷くん赤NG?らしいよ、よく分かんないけど。赤い服が嫌だみたいな事言ってた」

「そうなんだ……!じゃあ次に私服で会う機会があったら、赤以外の服にしよっと。ありがとう、ちなつ!」

玲奈が幹事を務めた先日の合コンは、玲奈が降谷くんと関わりを持ちたいからと萩原くんに頼んで開催したらしい。合コンでわたしの隣にいた玲奈は「私はヘタでいいから降谷くんに♡」と料理の教えを請うていた。

一方わたしは、合コンのメンバーでは諸伏くんがいちばん話しやすいなという印象だった。──いや、わたしの場合は別に好きとかそういうんじゃないけど。そもそも「ご飯が美味しいから」っていう玲奈の誘い文句につられて人数合わせで呼ばれただけだし。そもそも、今は勉強が大変で恋愛どころじゃないし。

でも、先日の食堂での一件で、諸伏くんの穏やかで優しい人柄がよくわかったのは確かだ。だから、目隠し障害物競争のペアが彼だと分かったときにはホッとした。──これも別に深い意味があるわけじゃなくて、単純に人となりを知っている相手のほうが安心できるっていう話だ。

*

『さぁ、体育祭も中盤。お次はちょっと変わり種!目隠し障害物競争だ!』

放送部の小気味よいアナウンスが流れると、初任科の学生たちがうおおおお!!と湧いた。なんというか、警察官には体育会系が多いのだ。これだけ盛り上がっていると、こちらも俄然やる気になってくる。

目隠し障害物競争は、男女のペアで参加する種目だ。目隠しした女子を、男子が声だけで誘導してゴールを目指す。一見ふざけているような種目だが、警察官にとって重要や協調性が養われるのだとか。

走者の集合場所には、すでに諸伏くんが来ていた。

「百瀬さん、よろしくね」

そう言うと諸伏くんは右手をスッと差し出してきた。たかが体育祭、されど体育祭。やっぱり勝負には勝ちたいよね!勝利を誓い、わたしは諸伏くんの右手をガッチリと握り返した。

「うん、よろしくね。我々の協調性の高さをアピールしよう」

「ふふっ、それいいね」

朗らかに笑ったかと思うと、諸伏くんは真剣な眼差しになって声を潜めた。

「それでね、百瀬さん。この競技、いかに『戸惑わずに』進むかが重要だと思うんだよ。だから、ここから見える障害物の順番や内容を何となくでもいいから覚えてほしいんだ。もちろん、オレも都度声はかけるけど」

「うん、わかった」

わたしも周りに聞こえないよう小声で答えた。自然に顔の距離が近くなって、少し緊張してしまう。

「第一関門は網くぐり。第二関門は……あれ何だろう」

諸伏くんの目線の先を見ると、平たいトレイに白い粉が敷き詰められている。

「粉の中の飴を探すやつかな?わたし、あれ得意なんだよね」

「ふふっ、得意なの?それじゃ楽しみにしてるね」

「うん、まかせてよ。その次は水風船?」

「そうだね。水風船が割れて濡れちゃわないように、方向を指示しながら進むみたい」

「別に水風船が割れても、ペナルティはないのかな?」

「無いみたいだね」

「わたし濡れても構わないから、場合によっては割って突っ切るね」

「えっ、大丈夫なの?」

「うん、それより勝ちたいから」

「ふふ、頼もしいな。じゃあ、いざって時は頼むね。それで最後は……あれ何だろう」

「箱が置いてあるだけに見えるけど……紙が何枚か入ってる?」

「借り物競争的なやつかな。それか、紙に書いてあるお題をやるとか」

「あぁ、そうかもね。じゃあ、あそこは諸伏くんにまかせるね」

「了解。あと、百瀬さんって右利きだよね?身体の使い方のクセで、一般的に左に傾きやすい傾向があるから、気持ち右寄りに進むことを意識してみて」

「わかった。ありがとね、諸伏くん。勝てそうな気がしてきたよ!」

それまで軍師みたいな眼をしていた諸伏くんが、少し赤くなってニコッとした。相変わらず可愛らしい人だ。

『はーい、それじゃ目隠しを渡していきまーす。準備お願いしまーす』

各組走者の女子5人が目隠しをして準備が整った。

『位置について、よーい……』

パーン!と号砲が鳴って火薬の匂いがした。方向がブレないよう、小走りで駆け出す。

「諸伏くん!こっちで合ってる?」

「うん、そのまま真っすぐ……あ、もう少し右!」

おぼつかないながら彼の呼ぶ方へ進んで行くと、放送実況の声が聞こえてきた。

『最初の障害物はネットの海だ!ペアの声をヒントに、上手にくぐり抜けろ!』

「そこで止まって。今ちょうど足元にネットがあるよ。向こうまでの距離はだいたい5mくらいかな」

「わかった!」

両手両膝を地面に付け、手探りでネットを探して頭をくぐらせる。

「百瀬さん、左に寄ってる!もう少し右!」

四つん這いで進んでいると、余計に方向感覚が狂う。何も見えない世界で、諸伏くんの声だけが頼りだ。周りから、うわぁぁ!という声援が聞こえる。他の組が先に抜けたのだろうか。

「あとちょっと!がんばって」

だんだんと諸伏くんの声が近づいてくる。きっと、ネットを上げて待ってくれているのだろう。頭からネットが離れたのを感じたとき、耳の近くで彼がひっそりと言った。

「百瀬さん、いい感じ。今3位だよ。──ここから2人追い抜こう」

「っ……うん、わかった」

声の近さに驚いて、身体が一瞬ピクッとしてしまった。今まで意識したことはなかったけれど、諸伏くんてめちゃくちゃ素敵な声なんだなぁ……視界が遮られて、聴覚が敏感になっているから気づいたのかもしれない。──いや、そんな事を考えてる場合じゃない!頭をぶるぶる振って雑念を振り払う。

『現在の1位は青組!続いて白組、赤組、黄色組、桃組の順に続いています。さぁ、次の関門は飴玉探しだ!粉の中にある飴玉を、口だけで探し出せ!ペアの人は、飴玉の位置を誘導してあげてください』

よし!これ得意なやつ!気合いを入れ直し、粉まみれになってむせながら必死で飴玉を探す。諸伏くんの誘導を待たずとも、爆速で飴玉をゲットした。

「ぶふぉっ!あっふぁ!」

「百瀬さんすごい!2位になったよ!」

「ぐはっ……やったね!次は水風船だっけ?このまま真っすぐ?」

「うん、真っすぐで大丈夫!」

「1位のチームはどうしてる?」

「濡れないように、ゆっくり進んでるよ」

「よし、チャンス!このまま強行突破するね!」

「ちょ、ちょっと百瀬さん……!」

「百瀬ー!行けー!」とか、「ちなつ!突っ走れ!!」というみんなの声が聞こえる。真っすぐ走ると、ばいーんと風船の感触がした。それでも構わずに進むと、上下左右でパン!パン!と水風船が弾ける音がする。水がかかって髪も服もびちゃびちゃだけど、問題ない!

『あぁーっと!赤組、水風船を割って強行突破!ルールの網をかいくぐって青組に追いついたー!さぁ最後の関門はお題箱!箱の中の紙をひとつ取って、書いてあるお題を実行してください!』

「やっぱりこういう系だったか!諸伏くん、お題は何?」

「っ……!えーっと、そこで止まって」

「んっ?」

よく分からないが、ここは彼にまかせると決めている。その場に立ち止まって、素直にバンザイした。同時に横で衣擦れの音がしたかと思うと、スポーンと上から何かを被せられた。石けんの香りに混じって、目覚めたばかりの新緑のような匂いがする。決して嫌悪感はなくて、むしろどこか落ち着く匂いだ。

「説明は後でするから、とりあえずそれ着ててね。それで、そのまま身体の力抜いてて」

感触だけで両腕を通すが、やっぱり状況がまったく分からない。言われるがままに脱力した。

「持ち上げるよ」

次の瞬間、身体がフワッと宙に浮いた。

「へっ?」

『さぁ、ここからラストスパート!青組は二人三脚、赤組はお姫様抱っこでゴールを目指せ!』

うわっ、お姫様抱っこされてる──!?

「諸伏!がんばれー!」

「ヒロの旦那ー!ぜってぇトップとれよな!」

伊達くんと松田くんのかけ声や、うおおぉぉぉ!!という声援が、やけに遠くの方で聞こえる。お姫様抱っこは正直言ってちょっと……いや、かなり恥ずかしい。目隠しの下で、さらにギュッとまぶたを閉じた。

「両腕をオレの首に回して」

「はい……」

着痩せするタイプなのか、諸伏くんの筋肉は思った以上にしっかりしている。何となく可愛らしいイメージだった彼の精悍な身体に触れて、少し戸惑ってしまった。けれど、これはただのお題だ。勝利のためだ。恥ずかしがってる場合じゃない!諸伏くんが走りやすいように股関節と膝を曲げ、ぴったりと身体を密着させて身を預けた。

「行くよ!しっかりつかまっててね」

「……うん!」

両手にギュッと力を込めた。諸伏くんが走り出して、風が頬を切っていく感覚がする。大きな声援の中でも、心臓が速く強く脈打っているのがわかる。このドキドキの理由は、目隠し状態で揺られるのが怖いから?それとも、密着しているから?……後者だとしたら、ちょっと恥ずかしい。諸伏くんは一生懸命トップを目指してお題をこなしているだけなのに、何を一人で意識しちゃってるんだろう。

「ヒロ、もう少しだ!!」

「諸伏ちゃーん!いっけぇー!!」

降谷くんや萩原くんの声援に混じって「キャー!!」という黄色い声や「ヤベェ!!男でも惚れそうだわ!!」という野太い声が聞こえてくる。

視界が覆われているからなのか、わたしは首から伝ってくる彼の汗や息遣いに気を取られてしまっていた。諸伏くんが一生懸命走ってくれてるのに、こんなこと気にしちゃいけない。そう思えば思うほど、肌がしっとりと触れる感覚や、走っている彼の浅い吐息を意識してしまう。

「諸伏くん、がんばって!」

この妄念を振り払うように、声に出した。少しして、前方から何か紐のようなものが当たる感触がした。

『ゴォーール!!僅差で1位は赤組!2位は青組!』

どうやら、わたし達がゴールテープを切ったようだ。

「えっ、すごい!!やったね諸伏くん!」

「はぁっ、はぁっ……、うん、やったね……!」

わあぁぁ!!と赤組の応援席から歓声が聞こえる。片手で目隠しをずらすと、目と鼻の先に上気した諸伏くんの顔があって心臓が飛び跳ねそうになった。

「っ……!か、抱えて走るのしんどかったやろ?ありがとね」

「いや、百瀬さんが身をまかせてくれたから走りやすかったよ。それじゃゆっくり下ろすから、気をつけてね」

地上に降り立ち目隠しを完全に外すと、だんだん現実感が戻ってくる。さっき上から被せられたのが諸伏くんのジャージであることに気づいた。

「あの、諸伏くん。これって……?」

諸伏くんは目を逸らし、頬を赤くしてなんだか気まずそうな表情になった。

「水風船を割ったとき、百瀬さんけっこう派手に水かぶったでしょ?それで、その……シャツが濡れて、透けちゃってたから」

バッとジャージの胸元を開けて中を見ると、赤いブラがシャツにぴったり貼り付いて透けていた。

「あっ……」

洗濯のローテーションをミスってスポーツブラがなく、やむを得ず普通のブラを着用していたのだ。「赤いブラって透けにくいし、赤組だからちょうどいいよねー」とか考えてた今朝のわたしのばか!アンダーシャツを着てくれ!はしたないものを見せてしまった恥ずかしさで、顔がみるみる熱くなっていく。

「あ、あの……本当にありがとう。諸伏くんのおかげで被害を最小限に食い止められたんだよね。その、諸伏くんには大変お見苦しいものを……ごめんなさい」

「いや、全然見苦しくないし、謝ることは……、あ、えっと、位置的に他の人からは見えてないはずだから大丈夫。……今日はそのままオレのジャージ着ててね」

「うん……ありがとう。洗濯して返すから」

「気にしないで。そのまま返してくれて大丈夫だよ」

「いや、もう汗と水でグッチャグチャやけん……!洗濯させてください!」

思わずバッと勢いよく頭を下げた。恥ずかしいやら情けないやらで、もう感情がグチャグチャだ。そのまま地面を見つめていると、諸伏くんが吹き出した。

「わかったよ。じゃあ洗濯お願いするね。だから顔上げて?」

彼はわたしの両肩に手をかけて身体を起こしてくれた。

「ふふ、粉と水で顔に白いベタベタがついちゃってる」

諸伏くんは眉を下げて笑いながら、タオルで顔を拭いてくれた。えっと、わたしは幼稚園児なのかな……?自分が間抜けすぎるし諸伏くんは優しすぎるし、なんだか気持ちが昂って涙ぐんでしまった。

「うう、ありがとう……この前食堂でも思ったけど、諸伏くんてお母さんみたいに優しいよねぇ」

「はは、お母さんかぁ……」

諸伏くんはなぜか少しうつむいて笑い、涙が溢れかけているわたしの目尻を親指でそっと拭ってくれた。

「ほら、みんなのとこに戻ろ。オレ達トップ獲ったからさ、みんなきっと喜んでくれるよ」

諸伏くんが優しく笑うから、余計に泣きそうになる。情けない顔を隠したくて、ぶかぶかのジャージに顔を半分うずめながら歩いた。平常心を取り戻すため、すー、はー、とゆっくり深呼吸を繰り返す。息を吸うたびに諸伏くんの匂いが身体の奥深くまで入って、細胞の一つ一つに染み渡るみたいだ。そうしているうちに、自然と気持ちが落ち着いていくのを全身で感じていた。

応援席に戻ると「お疲れー!」「おめでとう!」とみんなが拍手で出迎えてくれた。松田くんにだけは「オメー1位獲ったくらいで泣いてんじゃねーよ」と突っ込まれてしまったのだけれど(すかさず諸伏くんが「百瀬さんって感激屋さんだから」とフォローしてくれた)。半泣きなのはバレてしまったけれど、涙の理由がそういう事になってるなら、まぁそれでいっか。

その後、萩原くんが玉入れで華麗なジャンプと巧みなシュートを見せて相変わらず女子にキャーキャー言われたり、伊達くんが騎馬戦で大活躍してMVPに輝いたりして、体育祭は大いに盛り上がった。結果、我が赤組が見事に優勝を飾り、体育祭は無事に幕を閉じたのだった。個人的にはちょっと恥ずかしいハプニングもあったけれど、諸伏くんと共に少しでもチームに貢献できたみたいでよかった。

そして、玲奈をはじめ同じ班の女子メンバーからジャージのことを突っ込まれまくったのは言うまでもない。夜の打ち上げでは、ニヤニヤしながら班メンバー全員に追求された。「本当にやむを得ない事情だから!水風船が割れて、ブラが透けちゃって……」と事細かに説明して、わたしと諸伏くんの間に色恋沙汰は何もないと納得してもらうまで、実に小一時間かかったのだった。

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