小説隣の同期くん

隣の同期くん 3

3.隣の教場の同期くんに餌付けされてる気がする

大いに盛り上がった体育祭から数日が経ち、訓練と勉強に励む日常が戻ってきた。

少し湿度の高い薄曇りの休日。中間試験に向けて朝から勉強していたのだが、日が暮れかかった頃にはすっかり集中力が切れてしまった。よし、気分転換のために外出しよう。財布と携帯と一応テキストを鞄に入れて部屋を出た。

警察学校では文化系・運動系クラブ両方への所属が必須で、わたしは写真部とバスケ部に入っている。写真部の自由課題で天体写真を撮ってみようと思っていて、その下見がてら行ってみたい場所があったのだ。

20分ほど歩き、二鷹にたか)国立天文台に到着した。天文台は、木々が生い茂る広大な敷地の中にある。整備されてはいるものの、ちょっとした森と言っても差し支えないほど自然豊かな場所だ。隣接する緑地公園は常時開放されているが、天文台の閉館時刻を過ぎているためか人影は見当たらなかった。芝生の広場では街路灯に灯りが点きはじめ、ジリリリ……という虫の声が聞こえている。

広場の自販機でアイスレモネードを買い、ベンチの背もたれに身体を預けて一口飲んだ。閉まった門の向こうで、白く巨大な望遠鏡が夕闇に浮かんでいる。ここからなら星が綺麗に見えるのかなぁ。今日はあいにくの曇り空で、星の見え方は確認できそうになかった。

少し休憩したらリフレッシュできたし、喉も潤ってさっぱりした。先日の食堂の一件で、場所を変えると勉強が捗ることがわかったし、せっかくだからここでテキストを読んでみようかな。

そう意気揚々と勉強を再開したはいいものの、少し進んだところで行き詰まってしまった。うーん、このケースはどう解釈すれば良いんだろう……そういえば、歩きながらの勉強が効果的だって何かで聞いたことがある。誰もいないし、試してみようかな。

ベンチを照らす街路灯の周りをうろうろしながら、問題文を読み上げてみることにした。

「容疑者A、B、Cは影の計画師と呼ばれた叶才三と共謀し、銀行に侵入。現金4億円を奪う際、行員の男性に咎められ……あっ、この問題、昔実際に起きた事件を題材にしとるんやね」

そう独りごちたとき、足音が聞こえ自販機の方から視線を感じた。やばい。誰もいないと思って油断してた。不審者だと思われちゃったかなぁ。何事もなく立ち去ってくれれば良いのだけれど。そう思いながら恐る恐る自販機の方へ目を向けた。

「あっ……」

そこに立っていたのはちょっと眉を下げて微笑む諸伏くんだった。まさか彼だとは思わず、ピタリと足が止まる。どこから見られてたんだろう……?

「……えっと、こんばんは、百瀬さん」

「こ、こんばんは諸伏くん……」

首すじにまとわりつくような、生ぬるい風が吹いた。一本先の大通りから、車の走る音が微かに聞こえてくる。シャツの下で、じんわりと細かい汗がにじむのを感じていた。

「あっ、これにはいろいろ事情があるんよ!決して徘徊しとったわけやなくて……」

しどろもどろに説明するわたしの間抜けな様子を見て、諸伏くんはついに吹き出した。

「ふははっ、そんなに弁明しなくても。オレ、職質なんてしないよ?」

「そ、そうだよね。ちょっと不審者ぽかったかなと思って、つい」

食堂では寝顔を見られちゃったし、体育祭では透けた下着を見せちゃったし。なんだか、諸伏くんには恥ずかしいところを晒してばっかりだ。

「いや、何か声が聞こえるなと思ったら、百瀬さんが真剣な顔でつぶやきながら歩いてたからさ。何事かと思って」

「歩きながら勉強するといいって何かで聞いたからさ……誰もいないと思って、試してみてたの」

「それで、歩きながらテキスト読んでたんだね。謎が解けたよ」

諸伏くんは少し頬を赤らめながらニコニコと笑っている。なぜ彼が赤面するんだろう。恥ずかしくて顔が熱くなってるのはわたしの方だよ……

「そういえば、諸伏くんはどうしてここに?」

「夜、この辺よく散歩しててさ。喉乾いたから何か買おうと思って」

「そうなんだ。食堂で会ったときも散歩に行く途中って言ってたもんね。この辺りは静かでいいよね」

「うん、それに……あ、ごめんね、勉強の邪魔しちゃって」

「ううん、分からないところがあって行き詰まってたから。ちょうど良かったよ」

「……どの辺?よければちょっと見せてくれる?」

諸伏くんは自販機で買った水を一口飲むと、ベンチに腰掛けてテキストを読み始めた。わたしも隣に座り、問題の箇所を説明する。

「問3の、ここの解釈なんだけど……」

「あぁ、ここちょっと分かりづらいよね。これはね……」

諸伏くんはすらすらと、丁寧に解説してくれた。そういえば彼は東都大卒だし、同期の中でも5本の指に入るほど成績優秀なのだ。

「そういう事か!すごい、すごいよ諸伏くん、めちゃくちゃ分かりやすかった……ありがとう!」

「疑問が解決したならよかったよ。──それにしても、百瀬さん勉強がんばってるよね。何か目標とかあるの?」

「うーん、目標というか、約束……かな」

「約束?」

水滴が付き始めた缶を手慰みにして、少し息を整える。

「うち父も警察官で、家を空けてることが多かったんだけどね。ずっと『警察音楽隊の楽器を磨く仕事をしてる』って聞かされてたの。子供の頃は『わたしもお父さんみたいなおまわりさんになる!』なんて言ってたんだけど、反抗期に入ったら父への不信感が募ってきて。楽器を磨く仕事がそんなに忙しいわけないし、正直『何なのその仕事』って思って口もきかなくなって。でも、そんな時に父が殉職しちゃって──」

「そっか……」

「意地張らないでもっと話しておけばよかったって、悔やんでもくやみきれなくてさ。……今振り返ってみると、父はおそらく公安にいたんだと思う。父と同じ景色を見てみたいから、わたしも公安に入れるように勉強がんばっておきたいんだ。まぁ、実際に所属できるかはわからないし、自己満足って言っちゃえばそれまでなんだけどね」

つい話しすぎちゃったなあ。この人の持つ安心感の所為だろうか。少しぬるくなったレモネードを口に含むと、甘くて酸っぱくてほんのちょっとだけ苦かった。

「……なんか、重い話になっちゃってごめんね」

「ううん、大事なことを話してくれてありがとう。すごく良い供養になってると思うよ」

「ありがと。そうだったら良いな」

遠くのほうで踏切が鳴り、電車の走っていく音が聞こえる。少しの間そうやって、曇った夜空を眺めていた。

そのまま数分経っただろうか。諸伏くんが優しい声で「あのさ、」と話し始めた。

「よかったら、しばらく一緒に勉強しない?オレ、兄さんも警察官で試験対策とか教えてもらってるから、わからないところは教えられると思うし。試験の成績を上げるっていう点では力になれると思うんだ」

そういえば、諸伏くんは兄弟で東都大卒で、お兄さんが長野県警で刑事をやってるって合コンで言っていた気がする。

「それはすごく助かるけど……でも、わたしが教えてもらってばっかりになっちゃうよ。諸伏くんが大変じゃない?自分の勉強もあるのに」

「そんなことないよ。人に教えてアウトプットすることで理解が深まるからね。お互いのためになるってことで」

諸伏くんがニコッと笑うと、少し張りつめていた空気が緩む。なんか安心しちゃうんだよなぁ、諸伏くんの話し方や雰囲気。それに、わたしに気を遣わせないように「お互いのため」って言ってくれてるのも心に染みた。

「それじゃあ、お言葉に甘えて……、教えてもらってもいいかな」

「もちろん。オレも、百瀬さんのお父さんとの約束に少しでも役立てたら嬉しいからさ。よろしくね」

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